時知らず(時不知)
沖 一郎(おき いちろう)
苫小牧三田会会長、苫小牧市医師会会長・1979医
苫小牧市は千歳空港から南20キロに位置する東京以北最大の苫小牧港、苫小牧東港を中心とする工業都市です。王子製紙を中心とした製紙業、トヨタ自動車、アイシン、デンソーなどの自動車産業、出光や石油資源開発などのエネルギー産業など北海道の産業の中心として発展しています。
苫小牧港にある漁港でも、漁獲量日本一の北寄貝などが有名ですが、時知らずは春の風物詩です。時知らずは春から夏に北海道でとれるシロ鮭の若い個体のことで、「時を知らない(時不知)」と呼ばれます。味は脂がのって身が引き締まり、北海道では高級魚として珍重されています。
刺身、焼き物、ルイベなどで食すと素晴らしく、旬が短いこともあり非常に市場価値が高くなっています。一般の秋サケと違って卵や白子を持たないため、栄養や旨味が多く北海道の春の食文化を代表するものです。是非北海道にいらした際には味わってほしいものです。
原作小説の妙
小山 正(おやま ただし)
映像制作者、ミステリ研究家・1987政
『時計じかけのオレンジ』(1962年)といえば、1972年公開のS・キューブリック監督の映画が強烈で、原作が霞んで見える。しかし、早川書房の『アントニイ・バージェス選集』や「サンリオSF文庫」で著者の異能を知る私は、古びない原作に惹かれる。
読みどころは2点。ひとつは結末の違いだ。映画は陰惨に終わるが、小説のラストは救いがある。拷問と洗脳に耐えた主人公は暴虐の日々を脱し、自由意志で再生する。G・オーウェルの長篇『1984年』の主人公が思想警察の拷問/洗脳で、国家に屈従するラストと逆である。
もうひとつは日本語訳の良さ。翻訳を担った乾信一郎 (いぬいしんいちろう)(1906〜2000年)は雑誌「新青年」の元編集長で、戦後はユーモア作家かつ翻訳家として活躍。アガサ・クリスティー等を手掛け、90歳を過ぎても健筆をふるった。『時計じかけ』は1971年の訳業で(1980年改訂)、人造言語が入り乱れる複雑な原文を丁寧に訳し、歯切れ良い名調子に置き換えた。今も流布する日本語版は時空を超える名著なのだ。
ビッグベンと時のご縁
太田 仁(おおた ひとし)
英国三田会副会長、在英日本商工会議所・1991理工
ビッグベン(Big Ben)は、英国・ロンドンの国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)の建物の一部である、時計塔内に設置されている「大時鐘」の愛称です。現在の鐘は2代目ですが、初代の鐘は1859年5月に作られ、当時は世界で最も正確に「時」を刻む時計だったそうです。
その後間もなく、1862年5月に福澤先生は、文久遣欧使節団の一員として英国にご滞在され、当時はビッグベンの近くのキングス・カレッジ・スクール(KCS)を訪問されました。このKCSの「共立学校の制」をモデルに、慶應義塾を創設された訳ですが、KCSご訪問時に福澤先生がどのような想いで、ビッグベンが奏でる時鐘のメロディを聞かれていたのか、その「時」のご縁に、思いを馳せてしまいます。
なおKCSは現在、ロンドン郊外にてKCS Wimbledonとして、その歴史を刻み続けていますが、縁あって同校を訪問した際、スクールカラーが慶應義塾と同じBlue, Red and Blueであることを知り、そのルーツに思わず感激した次第です。
北条時宗という人
阿部 能久(あべ よしひさ)
聖学院大学人文学部教授・1995文、98文修
北条時宗(ほうじょうときむね)(1251~84)は、2度にわたるモンゴル帝国(元(げん))の侵攻を防いだ人物として知られる。その名「時宗」に含まれる「時」の字は、鎌倉幕府初代執権の北条時政(ときまさ)から続く通字(とおりじ)(一族の名乗(なのり)に代々用いる文字)で、時宗のような北条氏嫡流(得宗(とくそう))をはじめとする北条一門の名乗に用いられた。
時宗については、蒙古襲来への対応や、庶兄を葬り去った2月騒動への関与から、どちらかといえば武断的な性格が強調されがちである。その一方で彼は信仰心の篤い人物でもあった。幼少より南宋からの渡来僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)(建長寺(けんちょうじ)の開山)に師事し、蘭渓の死後は新たな禅の高僧を招くために、蘭渓の弟子である無及徳詮(むきゅうとくせん)らを南宋へ派遣した。
これに応えて来朝したのが無学祖元(むがくそげん)である。時宗が蒙古襲来による戦没者を敵味方の区別なく供養するため、無学を開山とする円覚寺(えんがくじ)を鎌倉に創建したのは、その死の2年前のことであった。33年という短い生涯ながら、その限られた「時」を時宗は濃密に生きたといえるのではないだろうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。