慶應義塾

「海」の先を想像する力

執筆者プロフィール

  • 常山 菜穂子

    法学部 共通科目教授(アメリカ演劇文化研究)

    常山 菜穂子

    法学部 共通科目教授(アメリカ演劇文化研究)

 「情報の海」などというお馴染みのフレーズではいまや言い表せないほど、私たちはスマホの画面からあらゆる言葉と画像と映像を手にしています。インスタ、TikTok、X、Facebook、スレッズ、YouTube、Snapchatのようなソーシャルメディアプラットフォームによってどこからともなく流れてきて瞬時に目の前に現れる無限の世界は、すべてが現実のようでいてすべてが夢のようでもあります。デジタル・ネイティヴの皆さんは日々、この「海」をスイスイと泳いでいるでしょう。

 でも、ここでもう一度、本物の「海」を想像して欲しいのです。いま見ているスマホを持つ手のひらの先へ、部屋の外へ、自分の家の中から町へ、市へ、県境を過ぎて、日本の端の海岸線を通って海を越えて続いていく物理的な広がりの感覚を思い描いてみてください。その海の先に実体ある人とモノが存在すること、しかもそれらは常に活動し、変化し、移動し、接触していることを思い出してください。

 私の専門はアメリカの演劇文化と演劇史です。演劇を上演したり観たりする行為とは決まった時と場所で共有される体験であり、演劇はある特定の時空間に固定された芸術形態です。

 でもそれと同時に、演劇は移動もします。私はまず、17世紀植民地時代に、演劇がイギリスから新大陸へ向かって船で渡る様子を想像しました。こうして移入された演劇はいかにして受容され、そしていかにアメリカの条件に合わせて独自のかたちへと変容していったのか、大西洋横断的な文化交渉を研究しました。つぎに、ではもう一方の海はどうだったのかなと思って、いまは、アメリカ演劇が太平洋世界へと帝国主義的膨張を展開したテーマを考えています。さらに、反対岸の日本からはどんな演劇がアメリカへ向かって海をわたり、日米の演劇がいかなる接触・交渉したのかに注目しています。

 言葉や画像や映像が情報の海を行き交っているように、人とモノも現実の海を越えて移動しています。国家国民、政治経済、歴史文化、思想宗教 ー すべては一か所に留まることなく、その価値も絶対ではなく流動的で曖昧なのです。

 だから、皆さんは手にした情報の先、現実の海の向こうに血が通う人がいて、異言語、異民族、異文化の生活が繰り広げられていることを意識しながら「情報の海」に対峙し、自らも発信していってくれたらと願っています。大学に入ったらいろいろな授業を取って、大勢の先生と話してみてください。専門分野の勉強に加え、少しでも興味を持った人文科学や自然科学のクラスに顔を出してみてください。広い基礎知識と深い教養は「海」の先を想像する大きな助けとなるからです。

(掲載:2026年4月)