慶應義塾

メディアを通じた「なるほど」という理解の危うさ

執筆者プロフィール

  • 大隼 エヴァ

    法学部 共通科目准教授(アラビア語 / 言語学)

    大隼 エヴァ

    法学部 共通科目准教授(アラビア語 / 言語学)

 みなさんはニュース、映画など、あらゆるメディアを観て、「なるほど、アラブ世界ってこういう感じか」と思ったことはありませんか。けれど、その“なるほど” は案外あやしい。なぜこの台詞が笑いになるのか、なぜその沈黙が重いのか、なぜ同じ言葉が場面によって温度を変えるのか ーそこに社会の仕組みや価値観が、こっそり映り込んでいます。

 私の研究は、エジプトを中心に、映画・テレビドラマ・コメディ・ニュース、そして日常の言葉づかいを材料にして、「宗教」と「世俗化(セキュラリズム)」が現実の場でどう折り合いをつけ、どう語り直されてきたのかを追いかけます。たとえば映画や連続ドラマ、風刺コメディは、単なる娯楽ではなく、「言いにくいこと」を言葉と笑いで迂回しながら共有する装置でもあります。逆に、検閲や“触れてはいけない線” があるからこそ、作り手は象徴や比喩、視線の動き、沈黙の長さでメッセージを編み込みます。私はそうした細部を拾い上げ、国家の制度、家族、ジェンダー、メディア環境まで含めて、ひとつの出来事がどんな「説明の候補」を生むのかを整理します。

 ここで大事なのは、“宗教が強い/弱い” の二択にしないことです。ひとつの視点だけで断言し続けると、世界は簡単に見えます。でもその代わり、別の可能性を見落とし、議論が信仰告白みたいになってしまう。学問は「いまの最善」を出す営みで、明日には更新されうる。だから私は、複数の論理を並べ、どれがベターかを根拠で比べる作業を重ねます。

 もう一つの柱は翻訳です。アラビア語の宗教的表現を日本語に移すとき、辞書的な意味は合っていても、“敬虔さ” や“距離感” がずれてしまうことがあります。どこで何が落ち、逆に何が足されるのかを分析し、目的(誰に・何のために)に応じた訳し分けの指針を示します。

 授業ではアラビア語やアラビア語を話す地域について報道されない面を説明し、研究会などでは、短い場面を止めて分析して、議論しながら解釈を考える。論文も読みますが、「結論を覚える」のではなく、「結論に至る道筋」を点検します。法や政治を学ぶ人にとっても、社会が“どう語られるか” を掴むと、ルールの見え方が立体的になります。

  結局、研究の出発点はいつも身近な「なぜ?」です。大学でいろいろ学ぶのは、将来いつ必要になるかわからない“思考の貯金” でもある。映像と言葉から社会を読む練習を通して、みなさん自身の「よりよい説明」を一緒に作っていきましょう。

(掲載:2026年4月)