慶應義塾

政治思想史から考える「この国のかたち」

執筆者プロフィール

  • 小川原 正道

    法学部 政治学科教授(日本政治史 / 日本政治思想史)

    小川原 正道

    法学部 政治学科教授(日本政治史 / 日本政治思想史)

 徳川幕府が終焉を迎えて明治政府が発足し、日本が近代国家を目指しはじめてから、150年以上の時が経ちました。

憲法や議会、内閣制度など、現代日本政治の骨格となる要素が、その後、短期間で構想され、実現していくこととなります。「この国のかたち」は、作家の司馬遼太郎がそのエッセイのタイトルとしたものですが、一般に「憲法」と訳される「Constitution」は本来、「構成」や「構造」、「成立」といった意味も持っています。そうした観点から見ると、明治国家の建設は、狭い意味での「憲法」を機軸としながら、国家の構造を練り上げるという、統治構造全体のデザイン過程とも言えるでしょう。

 政府側で代表的なデザイナーとして手腕をふるったのは、初代内閣総理大臣となった伊藤博文です。伊藤は憲法制定に先駆けて行政機構を整備する必要を感じて内閣制度を導入し、内閣を支える官僚を養成しながら、政府に知的資源を提供すべく大学制度を整備、憲法制定後は帝国議会を開設して、段階的な政党政治の実現を目指しました。民間では、慶應義塾の創始者である福澤諭吉が立憲国家の実現を目指し、イギリスをモデルとした議院内閣制、二大政党制、政党内閣制の導入を提唱して、これらを支える人材を育てる教育機関として義塾を位置付け、知的サロンとして交詢社を、「不偏不党」の新聞として『時事新報』を、それぞれ設立・運営していきます。

 現在、先進国と呼ばれるG7はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本で構成されており、非西洋国は日本だけです。明治から昭和戦前期の近代においても、日本が短期間で文明化を達成し、日露戦争でロシアを破ったことは、世界、特に西洋諸国の植民地の人々に大きな衝撃と夢を与えました。現代でも、こうした国々にとって、明治の国家建設と第二次世界大戦後の経済復興、さらには東日本大震災後の被災地復興などは、非西洋国の国家発展・再建のモデルとして貴重な事例となっており、私のような日本政治思想史研究者も、彼らからの問いや要望に応えなければなりません。

 憲法改正というと、日本国憲法第9条の是非などの条文改正にとらわれがちですが、今求められているのは広い意味での「Constitution」、つまり「この国のかたち」をデザインする構想力と実現力ではないでしょうか。政治学はこうした問題を正面から扱う学問であり、歴史的観点から日本政治を分析する我々のような研究者も、学生の皆さんとともにこうした力を鍛錬し、一緒に社会に貢献していきたいと考えています。

(掲載:2026年4月)